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鴨川の山側/04


毎月新月に行われるコミュニティーマーケット「AWANOVA」

オンラインではない人同士が音と表情で交わすコミュニケーションと

そこにオプションとして香りや色や音などのライブ感も加わり、

とても複雑で多様に満ちていて、とにかく平和的な場所が地方の里山にはあります。



スマホを手にしてアプリを自由に乗りこなす現代人。

技術革新によって僕らの生活スタイルや仕事やモノとの携わり方は大きく変化しました。

人との触れ合い方も含め、一昔前では想像もつかなかった世界が今ここにあります。

歴史年表には産業革命後に起こった〇〇革命と記載されるような変革期の今。

あらゆる分野における今までの「常識」もう古い過去のものです。


だけど、僕らのDNAはどうでしょうか。

未だにジャングルやサバンナのど真ん中にいると思っているのではないでしょうか。

意識を持ち人同士が言語を話し初めてから約7万年。

僕らは想像できないくらい長い時間をかけてゆっくりと進化してきた過程があります。

目に見えている物や頭で認知する事と無意識や反射神経といった潜在的な細胞レベルの部分。 

その互いの距離というのは同じ歩幅で歩んでいるとは思えません。

もう取り戻せないほどの距離があるのかもしれません。

星野道夫さんの本の中で、アンデスのシェルパの話があります。

雇ったシェルパが急に歩かなくなり、何をしても動こうとしない彼らに理由を尋ねると「我々はここまで速く歩きすぎてしまい心を置き去りにしてきてしまった。 心がこの場に追いつくまでしばらくここで待っているのです」という内容。


これを思い出すといつもはっとさせられます。

置いてきてしまっているものは無いか。 

心とか本質などをどこか遠いところに置いてきてしまって、もうそれらがもう追いつけない所まできてしまっていないか。

とても不安になるのです。


そうなるといつも不思議なタイミングでふわっと招待してくれる里山や海辺のコミュニティ。

かつてのリズムがいつもそこにあって、僕の心は自然のスピードを同じ時間でゆっくりとそこで待っていてくれています。

「大丈夫だ」と思うのです。



僕はもちろん今の技術革新の恩恵を受けながら過ごしています。

一方で自然から生まれた万物の一部であり、それらの恩恵がなければ生きられないとも認識しています。

片方だけではバランスが取れず沈没してしまいます。

いつもこの環境のどこかに自分の心が居座れる場所を用意して置いてあげる必要があります。

鴨川はとても良いところです。
















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