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有意義/013


不便も楽しめるようになれば、もっと人生は楽しくなるような気がします。

もちろん便利は僕らの生活を楽にしてくれるし快適にもしてくれていますが、面倒で手間のかかるものを手にいれた時の喜びを超える事はなさそうです。


サーフィンで例えると

波に乗るには自力で沖まで漕いで出て行き、うねりが来たらより大きな力を使って波を掴みます。

側から見ればとても不便で手間のかかるスポーツです。

しかもこの作業を2時間近く行うのです。

この不便な作業をしている沖のサーファー達はみんな爽快な顔でまた来る次のうねりを待ちます。 不快で不便さに愚痴を溢す人はもちろんいません。

不便を味方につけている彼らは凄く幸せそうなのです。


僕も割と面倒な方を選択するタイプです。

なのでよく「なんでわざわざ」というキーワードを人から言われます。

キャンプに行くと言うと「なんでわざわざ面倒なことまでして、、、」と先日も言われましたが、面倒な事を選択できない人生は半分しか楽しんでないようなものです。

ある研究で、

子育てを経験した親が喜びを感じる時と単調な苦役だと感じる時とをあげていくと

労働の大半をおむつ替えや洗濯、洗い物で締めるこの子育てという仕事を相当に不快である事が判明したらしい。 しかし大多数の親は、子育てこそ自分の幸福の一番の源泉であるとも回答するようです。

これは幸せとは不快な時間が快適な時間が上回る事ではないという事が立証されていて、価値とはそれが有意義であるものとみなせるかどうかにかかっているのだという事です。


手間をかけずに大量に同じものを作る時代のど真ん中に生まれた世代です。

混沌としていた世の中が綺麗になり便利に移り変わっていく景色を見てきました。

そうしていよいよ人生半世紀が経とうとしています。

年を重ねる毎に時間の貴重さを感じています。

大量生産システムの一部になり目的も持たず闇雲に生きるのではなく、それがどんなに面倒であり苦役であっても有意義で価値ある時間を選択できる進化をして行きます。

いつも「ワクワク」はそれらを超えた先にあるのを僕らは知っているから。


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